ESGという言葉はなくなるの?

欧州の過激化、米国の政治問題化を契機に、ESG(環境、社会、ガバナンス)という言葉の存在意義自体が問われ始めています。二つ前のエントリーでも書いたように、もともとこの3つが並列に並べられるものかどうかということがあまり深く議論されないまま、国連主導という錦の御旗のもとに一気に広がってしまった感があります。国連主導ということで、NPOや社会活動家たちの格好の遊び道具として企業へのアプローチを勧誘してしまった感もありました。しかし、そもそもこれは「投資」のタームであって、投資判断に「ESG」を考慮することが投資家にとっても企業にとっても社会全体にとっても良い結果をもたらすという一種の「理念」が背景になっています。そして重要なことはあくまで投資のタームであるので、投資家サイドのイニシアティブであるべきであり、直接的に環境や社会の問題に手を入れるのは、投資家としての役割を逸脱してしまうことがある。この点がまさにアメリカで問題となっていることです。投資の世界である以上、結果の確実性が保証されないのは当然のことで、ESGにかかわったからと言って投資リターンが上がるという確証が持てないのは当然のことです。ただ、そうなるであろうと投資する側が考え、それを考慮要素ないし決定要素として組み込んでいく投資手法であるとし、その採否は投資する側に任せられるべきだし、それはESGが是か非かという議論ではなく、お金を投資する側がそれを効果があるものと信じるかどうか、それだけのことだと思います。

そして、ワタクシも含めてESG支持者は企業評価全般にできるだけ多面的な要素を考慮する中で、EやSの要因も必ず長期的に企業評価の重要な要素いいかえると将来キャッシュフローの変化要因となると考えるので、ESGという言葉を使うか否かにかかわらず、それらに対する考慮は継続することになります。おそらく、この点は投資コミュニティーにおいて、程度の差こそあれ、同じ方向だと思っています。

その意味で最近ブラックロックのCEOがESGという言葉を使わないと言い始めたのは、まあ納得できますし、同時にCEOが投資のやり方まで変えるわけではないと言っているのも全く同意です。ワタクシ自身もESGという概念を最初に理解した時から、この言葉自体は自然に消滅し当然の企業価値判断の枠組みに取り入れられるのみ、という考えです。くしくも最近ISSBでサステナビリティ開示基準S1S2が発表されており、企業の開示として今後こういった取り組みが広がることがよていされています。この動きはある意味不可逆的であり、ESGという言葉の有無とはもはや切り離されたところで残っていくと思います。

というわけで、表題の問いに対しては、ワタクシとしては「無くなるかもしれないですね」という感想を持っています。ただ、これまで積み上げてきたESGをベースにした企業評価のアプローチの蓄積が現在の議論につながっており、結局のところ「企業評価の精緻化」につながったのではないかなと思っています。

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