「利益より理念 市場と相克」
最近ほかの人の書いた記事をサカナにして書いてしまうことが多いのは多分ワタクシの脳の機能が低下しつつあるせいです。まあ許して下さい。
タイトルは本日5月18日の日経記事(「ESG 光と影①」)の見出しですが、内容は主にESG経営の優等生とみなされているフランスの食品会社ダノンにおいて、相対的な成績不振のため、3月に会長兼CEOが解任されたことの解説記事です。「もの言う株主」の2社による解任劇であるとされています。
たぶん欧州でありがちなことですが、あちらの方々は基準や思想を作り出すことは大変上手だし、それをもっともらしく語ることも上手ですが、残念ながら現実に適応させ利害関係者により良い形で還元するための実技的能力に欠けるケースをよく見ます。欧州系の投資顧問会社でも言っていることはとても立派で感動的な資料が用意されているのだけれど、パフォーマンスが伴わなかったり、機械的に欧州系のコンサル会社や指数会社が作ったESG評価をうのみにしてそれを用いた商品をESGであると称していたりするところもあります。
ワタクシのひとつ前のエントリーと実は共通する部分があるのですが、恰好だけつけてもいい結果は得られないということです。投資家の立場でESGを取り込んでやっているといえるためには、その企業のESGへの取り組みがちゃんと将来の企業価値に明確に反映するというパスをきちんと見極める必要がある。あるいは、もともと成長性の高い企業であったがやや環境や社会面での取り組みやガバナンス等に不安がありリスクもあったものが、それらを払しょくできるような取り組みをすることでリスクから見たリターンが高くなるなど、ESGへの取り組みが明確に将来のリスクリターンに反映できると確信できるような企業を見つけるべきなのです。そのためには個別企業のビジネスモデルをきちんと理解したうえでの地道なインタビュー等を含む調査活動は不可欠であり、なかなか大変な作業だろうと思います。
記事に紹介されているPBC(パブリック・ベネフィット・コーポレーション)という考え方も、オウナー企業でない場合にはどうも相性が悪そうに思います。なぜなら株式を上場する企業である限り「株主至上主義」からの脱却というのは本質的にはあり得ないからです。オウナー企業が株主至上主義から脱却できているように見えるのはオウナーが影響力ある株主であり、さらにそれにほかの主要株主が影響を受けてあるいは賛同してくれる、あるいは、強烈なカリスマ経営者のもとでそれなりの実績をもとに株主を黙らせることができるケースがほとんどです。実績もないようなところが綺麗事だけ語っても、なかなかねぇ。記事が指摘するような「経営と運用の時間軸のずれ」といった単純なものでもなさそうに思いますが。
この記事はESGと株主利益との相克をテーマにしていますが、本来は株主利益をきちんと確保できるようなESGでなければ上場会社が取り組む意味はありません。株主利益を無視した本業にきちんとした利益をもたらさないような取り組みはNPOやNGOなどに任せておくべきです。今のESGの不幸は、NPO的な団体があまりに力を持ちすぎ、このムーブメントを利用して自らの「思い」を企業の財務力を借りて成し遂げようとしていることです。すでに、環境問題や社会問題ではESG関連と称した活動団体が多くひしめき合い、それらを統合すべきだという議論が出ています。そういった個別の、言い方は悪いけれど思い付きで作ったような、団体にすべてまともに対応しようとすると、コストばかりかかってしまい、肝心の消費者等への便益の提供が一時的にせよおろそかになりかねないでしょう(プラスチックストロー問題がいい例ですね)。ダノンで例示されたようなCO2への取り組みや原材料の地域調達拡大などは立派だけれど、それがちゃんと企業利益に結び付くのだということを示して初めてやる価値があるのだろうと思います。それが長期的視点ですら株主に説得できなければ、株価が劣後することは当然でしょう。
なお、企業がESG方向に向かう動きはそれでも止められないと思います。従来ESGという概念をあまり認めてこなかった企業群がESGをテーマにした対話に応じるようになってきたという話も聞きます。要は、企業がそうした声をどのように将来の収益モデルやリスク管理につなげていくかという企業経営の考慮要素として含まれるようになってきたことは間違いないと思います。
その一方でESGをテーマとした運用で「超過収益」を出していくことは今後どんどん難しくなっていくでしょう。企業の間にESGへの取り組みの差が少なくなると同時に次第に裁定が働きディスカウントが潰れてプレミアムが乗るようになってくる。多くの方が言うように最終的には数年後にはESG運用という言葉自体がなくなっているかもしれません。まあそれがESGの成功なのか失敗なのかはどちらでもいい。運用を生業とする人間にとっては、最終的には資金を委託した人に利益をもたらすことが最大の使命であり、そこだけは忘れてはならないと思います。
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