全くうれしくない話(独り言)
世界的株高である。
ぶっちゃけ、自分の持っている株式投信やDCの中のリスク性資産がことごとく値上がりしており、想定以上の含み益となっている。でも全然うれしくない。なぜだろう。
一つの理由は、市場の高騰が財政金融のじゃぶじゃぶ化と超低金利によって支えられていることがあまりにはっきりしているからだ。要するにきちんとした評価を超えた値上がり、ということであり、投資の判断能力とは別の次元で儲かっているからだろう。需給要因のみで値上がりすればするほど、運用に携わるものにとっては心の底からバカにされているような気になって、とてもつらい。
もう一つは、上がれば上がるほど、今後の先行きに関しての不安が高まるということだ。財政金融のじゃぶじゃぶ化が止まった段階で、需給が崩れ、株価は調整せざるを得ない。逆にじゃぶじゃぶ化が続けば、流通可能で貨幣との交換が可能なあらゆるものの価格形成に影響するだろう。かつての不動産バブル、絵画バブルなどわかりやすい過去のほか、新たに暗号通貨のようなものも最近は流通可能で貨幣との交換が可能となっている。こういったものがすべて値上がりする。未来永劫じゃぶじゃぶ化が続くのかといえば、そうは思えない。どこかで止まると考えれば、その時に流通可能性や貨幣との交換可能性が大いに減ってしまう資産もあるだろう。次なる危機はそういう状況から生まれると考える。やはり資産が積みあがった後の流動性バブルの崩壊だ。裏から考えると、このリスクを当局も十分認識しているから、何か起これば無制限の流動性供給を行う。その一部はある程度戻すとしても、傾向的な流動性対応のベースは増大する。その結果が例えば現在の日銀の政策なり各国財政当局の対応である。これのサイクルが続く限り、資産価格は下落しようがない。しかしこれがどこかで転換するのではないかという不安感である。
これを転換させる可能性があるイベントは二つあると考えている。一つはシステムの崩壊である。国単位の決裁システムの上に成り立っている金融の仕組みが、戦争などによって破壊される場合である。つまり通貨や財政の管理主体である政府そのものが崩壊のリスクに瀕する場合である。もう一つは、実物特に日々の生活必需品に対して余剰資金が大量に流入しインフレが波及する場合である。例えば、穀物、石油、ガス、そういったものの価格が暴騰し、それが二次産品(電気など)を含む実物の価格に跳ね返ってしまう場合である。可能性としては後者のイベントを通じて前者のイベントに至るという可能性もある。逆に言えばそういうことが起こらない限り、関係者すべて、いまの状況に安住してしまうだろう。そして、そういうことがなかなか想像できないくらいすでに閉塞感に満ち溢れた状況に押し込められている。
制度側つまり政府や中央銀行は最終的には民意の反映であり、経済が苦しい、生活が苦しいといった声に素直に反応しやすい。成長が見えているうちはそれでも人々は将来に希望を託すことができる。成長が見えなくなると、将来には期待できないからとりあえず目先の苦しさから逃れることしか考えられなくなる。その結果が継続的な金利低下であろうと思う。そうした声はこれからも続くだろうし、そのたびに制度側がこのような対応を続けるだろう。しかし、本当にどこまで続けられるのか、というのが漠然とした不安となって我々にのしかかる。
日本やいくつかの先進国においては80年代後半から90年代前半がちょうど成長期待の分水嶺だったように思う。それは戦後(徹底的にダメージを受けた状態からの回復復興成長の期間)から戦前(成長期待がついえた先にある、人々が不満を蓄積させていく期間)への変化だろうと思う。第二次世界大戦終結(1945)から1990年まで45年あった。そこから現在まで31年。45年なら2035年である。様々な企業が脱炭素などの取り組みの目標としている年のひとつである。脱炭素などの動きは人々の行動に制約を課し、またこれまでの産業や雇用の体系に大きな変化をもたらすかもしれない。こうした動きがますます人々の気持ちにマイナスの影響を与えていくのではないか、という危惧もある。そもそもマイナス金利というのがかなり異例というか大きなパラダイム転換なのであり、金利という手段をある程度使い果たしているからこそ資産買い入れという手段がとられるわけだが、それとても限界がある。市場に出回る金融資産は有限だ。発行主体が発行し続ければ無限であるが、発行体のリスクか買い手のリスクかいずれか又は両方でいずれ許容度が限界に来る。
いずれにしても、金融市場の動きは実体経済と合わさってこれまで以上に世界の政治の流れに強く影響してくるのではないかと考えている。
昔であれば100万円で買った投信が120万円になったら20万円分どう使おうかとかウキウキしたものだ。いまは全くそういう気になれない。むしろ、将来のインフレヘッジとしての役割を改めて意識しつつ保有し続ける。しかし、たぶん何年も先ではあろうが、本当にそういう状態が来たときは金融資産は本当に無力だろうと思う。こんなことを考えているから、いまは資産価格が上がっても全くうれしくないのである。(ペシミストですみません)。
ぶっちゃけ、自分の持っている株式投信やDCの中のリスク性資産がことごとく値上がりしており、想定以上の含み益となっている。でも全然うれしくない。なぜだろう。
一つの理由は、市場の高騰が財政金融のじゃぶじゃぶ化と超低金利によって支えられていることがあまりにはっきりしているからだ。要するにきちんとした評価を超えた値上がり、ということであり、投資の判断能力とは別の次元で儲かっているからだろう。需給要因のみで値上がりすればするほど、運用に携わるものにとっては心の底からバカにされているような気になって、とてもつらい。
もう一つは、上がれば上がるほど、今後の先行きに関しての不安が高まるということだ。財政金融のじゃぶじゃぶ化が止まった段階で、需給が崩れ、株価は調整せざるを得ない。逆にじゃぶじゃぶ化が続けば、流通可能で貨幣との交換が可能なあらゆるものの価格形成に影響するだろう。かつての不動産バブル、絵画バブルなどわかりやすい過去のほか、新たに暗号通貨のようなものも最近は流通可能で貨幣との交換が可能となっている。こういったものがすべて値上がりする。未来永劫じゃぶじゃぶ化が続くのかといえば、そうは思えない。どこかで止まると考えれば、その時に流通可能性や貨幣との交換可能性が大いに減ってしまう資産もあるだろう。次なる危機はそういう状況から生まれると考える。やはり資産が積みあがった後の流動性バブルの崩壊だ。裏から考えると、このリスクを当局も十分認識しているから、何か起これば無制限の流動性供給を行う。その一部はある程度戻すとしても、傾向的な流動性対応のベースは増大する。その結果が例えば現在の日銀の政策なり各国財政当局の対応である。これのサイクルが続く限り、資産価格は下落しようがない。しかしこれがどこかで転換するのではないかという不安感である。
これを転換させる可能性があるイベントは二つあると考えている。一つはシステムの崩壊である。国単位の決裁システムの上に成り立っている金融の仕組みが、戦争などによって破壊される場合である。つまり通貨や財政の管理主体である政府そのものが崩壊のリスクに瀕する場合である。もう一つは、実物特に日々の生活必需品に対して余剰資金が大量に流入しインフレが波及する場合である。例えば、穀物、石油、ガス、そういったものの価格が暴騰し、それが二次産品(電気など)を含む実物の価格に跳ね返ってしまう場合である。可能性としては後者のイベントを通じて前者のイベントに至るという可能性もある。逆に言えばそういうことが起こらない限り、関係者すべて、いまの状況に安住してしまうだろう。そして、そういうことがなかなか想像できないくらいすでに閉塞感に満ち溢れた状況に押し込められている。
制度側つまり政府や中央銀行は最終的には民意の反映であり、経済が苦しい、生活が苦しいといった声に素直に反応しやすい。成長が見えているうちはそれでも人々は将来に希望を託すことができる。成長が見えなくなると、将来には期待できないからとりあえず目先の苦しさから逃れることしか考えられなくなる。その結果が継続的な金利低下であろうと思う。そうした声はこれからも続くだろうし、そのたびに制度側がこのような対応を続けるだろう。しかし、本当にどこまで続けられるのか、というのが漠然とした不安となって我々にのしかかる。
日本やいくつかの先進国においては80年代後半から90年代前半がちょうど成長期待の分水嶺だったように思う。それは戦後(徹底的にダメージを受けた状態からの回復復興成長の期間)から戦前(成長期待がついえた先にある、人々が不満を蓄積させていく期間)への変化だろうと思う。第二次世界大戦終結(1945)から1990年まで45年あった。そこから現在まで31年。45年なら2035年である。様々な企業が脱炭素などの取り組みの目標としている年のひとつである。脱炭素などの動きは人々の行動に制約を課し、またこれまでの産業や雇用の体系に大きな変化をもたらすかもしれない。こうした動きがますます人々の気持ちにマイナスの影響を与えていくのではないか、という危惧もある。そもそもマイナス金利というのがかなり異例というか大きなパラダイム転換なのであり、金利という手段をある程度使い果たしているからこそ資産買い入れという手段がとられるわけだが、それとても限界がある。市場に出回る金融資産は有限だ。発行主体が発行し続ければ無限であるが、発行体のリスクか買い手のリスクかいずれか又は両方でいずれ許容度が限界に来る。
いずれにしても、金融市場の動きは実体経済と合わさってこれまで以上に世界の政治の流れに強く影響してくるのではないかと考えている。
昔であれば100万円で買った投信が120万円になったら20万円分どう使おうかとかウキウキしたものだ。いまは全くそういう気になれない。むしろ、将来のインフレヘッジとしての役割を改めて意識しつつ保有し続ける。しかし、たぶん何年も先ではあろうが、本当にそういう状態が来たときは金融資産は本当に無力だろうと思う。こんなことを考えているから、いまは資産価格が上がっても全くうれしくないのである。(ペシミストですみません)。
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