主権免除

韓国の国内裁判所で、元慰安婦と言う人が日本政府を被告として慰安婦として受けた被害を原因とする損害賠償請求訴訟を提起し、韓国の一審裁判所で認容されたとの事です。

これに対し、当然のごとく日本政府からは非難の声が上がっています。多くの政治家の方も含めて、日本政府は韓国の国内裁判所での訴訟については「主権免除」によって被告となりえないという主張がなされていて、韓国の裁判所は本来「却下」すべきであった、と主張されます。

一般論としては全くその通りで、外国国家を国内裁判所で訴えるのは慣習的国際法のもとでは原則としては主権免除にかかるものと思われますが、ただ、国際法上、考え方はそれほど単純なものではないということは十分理解しておく必要があります。

一つは通説的な立場でも、国家の行為は主権的行為(国家権力の行使として行われるもの)と非主権的行為(業務管理的行為)(どちらかというと私人と対等な立場で行われる商取引のような行為)とに分けられ、後者は「当然には」主権免除の対象とならないとされているからです。この点についてはまあ、慰安婦問題が政府により強制連行された結果であるという立場であれば、主権的行為の色彩がつよいとは思えます。

しかし、二点目としてさらに最近の学説上においては「重大な人権侵害に対する国家免除否定論」が議論されており、慰安婦問題がこれに当たる可能性も否定できず、学説の立場によっては韓国国内裁判所の裁判権が認められる可能性も全く否定できないということです。
https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss6002_033060.pdf
(なおこの論文では、国家免除否定を構成する説得力ある理由はないと結論付けています)

さらに一定の範囲で外国国家への国内裁判所の裁判権を認める考え方は海外にもあり、上記論文でも書かれているようなアメリカにおける外国主権免除法といった国内法で一定の場合に裁判権を認めることとしているようです。


詳しい議論は専門家にお願いするとして、個人的な直観としてあまり「主権免除」のみを主張するのは日本としては得策ではない。もちろん応訴すること自体相手の主権に服することになるともいえるので、日本政府が本案に立ち入らずに却下を求めるのは当然です。ICJ(国際司法裁判所)に提訴するという話も出ていますが、やはり筋としては裁判外であらためて日韓請求権合意に基づく放棄を前面に出すべきでしょう。

いずれにしても外国政府を相手取る裁判というのは仮に勝ったとしても「執行」の問題が大きく残ります。裁判で確定した権利を執行するためには相手が任意で支払ったりしてくれなければ「強制執行」の手段に頼らなければならない(こういう手段があるからこそ法治国家といえるわけですが)、強制執行というのはまさに究極の国家権力による有形力行使であり(執行される側が抵抗したりすればそれこそ武器を使ってでも制圧して実行するのが筋)その段階では確実にA国の国家権力対B国の国家権力という極めて深刻な、場合によっては戦争に発展しかねない、力の対立が想定されます。まあ韓国国内に日本政府が所有する財産があるとしても、それに対しては当然には執行できない(おそらく執行段階では主権免除の対象となる)のだろうと思います。これは深刻な国家対立を避け戦争を避けるという先人の知恵でもあろうかと思います。

そう考えるとやはり、今回の「元慰安婦」が起こした訴訟の筋悪さが改めてクローズアップされます。元日本政府の行為を原因として日本政府を訴えるなら、日本に来て日本の裁判所で訴訟すべきだった。国際私法の大原則でも訴訟は被告の住所地にて起こすこととされています(例外は多いですが)。そこで勝訴すれば、日本の司法制度に日本の行政は服しますから確実に賠償金は得られるでしょう。

民間企業を相手にするのとはわけが異なる。日本政府を相手に過去の国家主権の行使である行為に関して韓国国内裁判所で訴えること、そして裁判所がそれを却下せず認めてしまうこと、そのこと自体日本に向かって腕まくりして喧嘩を売っているという自覚がかの国の関係者にどこまであったのでしょうか?いいかえると、そんなに一戦構えたいですか?ってことなんですが。今回の訴訟を通じて現れてしまったそういう認識の薄さや意識の低さこそ、対外関係をややこしくしている原因であることに早く気付いてほしいなと思う次第です。

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