ショートターミズム
ショートターミズムとは、文字通り短期主義、短期志向、あるいは近視眼的経営などと訳されていて、投資家や企業経営者が短期的な利益やメリットにとらわれて(場合によっては長期的利益に反する)行動することを指します。
実はかなり以前から議論はありましたが、CSRやESGといった話が盛り上がる中で、ショートターミズム批判がその背景に組み込まれてきたことで改めて脚光を浴びています。ショートターミズムに対する批判は、言うまでもなく、当事者による短期的利益志向が、当事者である企業の長期的利益に反していることがある、あるいは、投資家などが短期的利益志向で資本市場に参加することで、ノイズ的なフローを生み、本来期待されている資本市場の役割をゆがめてしまい、結果的に大きなコストを発生させる可能性についてです。先日、米国市場で一部銘柄について盛大なるショートスクイーズ祭りが開催され、しかも個人投資家などがSNSを通じて結託したりしたという話も出て、ともかくそれらの銘柄群の株価が異常な乱高下を示したという「事件」がありました。これに関して場外でも、某著名公的年金の元投資責任者の空売りの是非などを巡る意見に対しても議論が巻き起こったりして、別の祭りも開催される騒ぎになっているようです。ワタクシとしては、この議論は本来は「ショートターミズム」という視点で本来は議論されるべき問題なのかな、と思いました。
これまでショートターミズムの一つの例としては、たとえばあまりに短い間隔による業績開示を行って投資家の行動を煽るというものが挙げられています。かつては日本の決算(業績)発表は年1回でしたが、米国などの例に倣って半期、四半期と頻度が高まってきました。いまでは当たり前のようになっていますが、その過程でやはりショートターミズム批判はありましたし、おそらく今もあると思います。
HFなどによる株のネイキッドの空売りというのも一種のショートターミズムでしょう。まあ時間的スパンは画一的ではないとして、株を借りて売るのですから、借りたものを返す期限があり、その際に必ず買戻しを求められる。その意味では資本市場が想定している本来の株主に期待されている投資のスパンからはかなり短い期間で結果を出さなければならず、やはりショートターミズム批判の対象となりそうです。空売りは、ワタクシが以前書いたように、必ずしもすべて否定されるべきものでもありません。ただ、ショートターミズム批判の視点に立つとき、おのずから「いい空売り」「悪い空売り」の区別があるのではないか、それをやる当事者の中で一定の区別がなされるべきではないのか、と思います。「それをやる当事者の中で」とあえて書いたのは、一般的に別に禁止されているわけでもないし、一定の流動性を供給したりする役割もあるがゆえに、それをきちんと線引きできるのは、その当事者の「哲学」なり「価値観」といったものに依存するしかないと思うからです。そして厄介なことに、その哲学なり価値観なりは最終的に折り合わないことが多いので、最後は「資本市場の長期的なより良い発展」といった非常に大きなお題目を唱えつつ一定の権力によるルールが登場してしまうことになるリスクがあることには注意が必要です。
かつて、栗本伸一郎氏が「パンツをはいたサル」という名著で、法というのは異文化の文化的接触の中で生まれるもとの文化における想定外の事態への対応、とみごとに喝破していましたが、資本市場におけるインサイダーや相場操縦のルール(法律)の造られ方もそういう面が非常に強いと思っています。本来仲間内での世界であった資本市場に対し色々な人が色々な形で利益追求目的で「禁じられていないことは許される」という思想をもとに参入した結果、様々な場面で「あいつはずるい」「あいつはインチキだ」みたいな批判を浴びる行為がいろいろ出てきて、そのうちの一部が法律で明確に禁止されたりする。まあそういうことが生まれるわけですが、法律的に禁止されている行為も含めて、ワタクシ個人的には、その区別というのは行動の目的が「自己利益の過剰な追求」なのか「ある程度市場や社会の厚生もふまえての行動」なのかという点にかかってくるのではないかと思います。
もちろんそれすら意図せざる結果ということもあるでしょうし明確に線を引けるものではない。一般論でいま思いつく範囲でいえば、ヘッジや裁定の空売りは当然必要でしょうし、むかしはそもそもまだ手元にないもので近いうちに入ってくる現物をカラ売りすること(=ヘッジですね)に「つなぎ売り」という表現が充てられていたこともあり、基本的には空売りは現物を受け渡すまでの「つなぎ」としての保険でもあったわけですが、そういう空売りは十分必要でしょう。一方で提灯をつけてオーバーシュートさせて超過利益を得ることを目的とした行為は、合法であってもワタクシの投資の考えからはなんだか釈然としないものを感じます。別にいいんだろうけど、人としてどうなの?みたいな。そういう行動が目立ち始めると、いざという時に突然取引所の制約の対象となるのは十分あり得る話です。また、東日本大震災の翌日ぐらいにブログで堂々と円の空売りを勧めたちょっと有名な老投資銀行家(日本人)がいました。ワタクシはブログで批判しましたが、まあやっていいことと悪いことがあるだろうと。
(https://ensaigaisai.seesaa.net/article/201103article_5.html)
なんとなく職場におけるパワハラと指導の境目のような議論になるのかもしれません。
何がショートタームかなどという議論の前提が統一されていないという問題を置いておくと、ワタクシ個人としては、こうしたショートターミズムの弊害に基づく一定の考慮は参加者として必要なのではないか、と思います。今回の米国での出来事も、一日の日中で数百パーセント上下するというのだから、まあ市場の価格発見機能とかいうのがやはり絵空事のように思えてくるのですが、これももとはといえば「空売り」です。そしてそれに対してロビンフッドなどを通じたイナゴの大群がむさぼりつくした。結局そこには何も残らない。本来市場の機能として喧伝される市場の適正価格発見機能もなければ、資本市場の将来の発展につながるような知見も得られていません。発見されたのは、あまりに短期的に自由に動ける株式市場は、かえって不安を増すだけの存在となる可能性があり、全体にマイナスの波及効果をもたらすという事実のみです。そしてその発見自体が将来市場参加者の手足を縛る方向に向かう可能性があります。今回の「イナゴ」たちがSNSで結託してショートスクイーズを仕掛けたことは、相場操縦にあたるのかどうか微妙ですが、少なくとも資本市場が想定していない行動であることは間違いないと思います。こうした結果が新たな厳しい規制に向かわないことを祈ります。
話しは少しそれますが、ESG投資というのはもともとショートターミズム批判と強い関係のある動きです。色々な批判がありつつも大きな流れを作ってしまったのは、人々の心の中にそういう批判へのシンパシーがあるからでしょう。Eへの取り組みやその評価がリターンに効くのかどうかという立論も大事ですが、そのような取り組みを株主が評価しつつ投資を行う、そして「エンゲージメント」などを通じて会社と建設的な対話を繰り返しつつ議決権などの株主権の行使を行っていくことは、必然的に長期的に会社と付き合っていかなければならないということを意味します。別に空売りなんかしなくても、そういう会社をきちんと見つけてエンゲージメントを通じて会社を成長させ、しかるべき結果が得られてオーバーシュートすれば売ればいい。見込みがないと思えば売ればいい。オーバーシュートせずに継続的な成長が期待できると思えば保有を続けてその果実を受け取り続ければいい。その意味ではESG投資とエンゲージメント活動を組み合わせる主体は最低でも数年間は投資先企業と付き合っていく覚悟が必要ではないかと思います。まさにショートターミズムと対極です。G(ガバナンス)はもともと多くの先行研究でリターンとの関係がある程度見出されているからいいとして、E(環境)やS(社会)については有意な関係が見いだせないというのは一応現在の通説のようですが、まさにEやSへの取り組みはある程度長めのスパンでしかできないのであり、その果実はかなり先で取り込まれるものです。トランプ政権の下でちょっと迷走したとはいえ、EやSへの取り組みが少なくともリターンを阻害する要因でない(但し短期的には投資が必要となりコストがかかるが、それをいずれは回収できるという流れで企業が投資を行う)以上は受託者責任に明確に反するとも言えないと思います。
年金基金などが受託者責任との関係でESG投資になかなか踏み切れない事情も分かりますが、やはり大きな機関投資家としていま新たな役割が期待されています。ショートターミズムを脱却し、積みたてから給付までの長い期間における参加者として長期的に資本市場にかかわっていく役割が担わされているのですから、単年度で儲かったとかアウトパフォームしたかどうかとかいう次元(もちろんそれも大事ですが)を超えて、長期的に資本市場のベータに働きかけていくという作業の担い手として期待されているということなのです。
某巨大公的年金の元投資責任者の方が空売り批判をしていろいろ物議をかもしましたが、必ずしもすべてその方の意見に賛同できるわけではありませんが、おそらくその方の立論が一種のショートターミズム批判に立脚していると理解すると、比較的理解しやすく思います。この元投資責任者の方がESG投資を積極的に促進したことは、ショートターミズムへの批判的な考え方において共通するものがあったと思いますし、それは一定の様式の空売り批判につながりやすいと思います。(ただ、残念なのは退任とほぼ同時に某上場企業のボードメンバーになられたことで、これは利益相反という視点では厳しい目を向けられても仕方ないでしょう)。
結果的に米国で起きた今回の「祭り」で大金を稼いだ方もいらっしゃるでしょう。ショートスクイーズも意図的にやるなら空売りと逆の意味で、市場を利用したショートターミズムの一つの例でしょうか。合法かどうかについても微妙だとおもいますが、合法的であってもそして本人たちには何の悪気もなくても、人々の心に傷を残す陰湿ないじめとか指導に名を借りたパワハラのようなものかなと思います。社会あるいは市場というものに対する信頼感というか、恐怖感というか、そういうところに影響を与えているように思います。短期的な利益はゲーム感覚に通じるものがあります。今回もロビンフッドが一部の取引を停止したりしてましたが、そういうこと自体も市場の信頼性を失わせることになり危険です。いろいろまずいと思います。(まあすでに市場全体がやばいのだといわれればぐうの音もでませんが)。空売りにせよ今回のような事例にせよ、市場はショートターミストの遊び場ではない、ということをきちんと認識してもらう必要があります。とはいえそもそも日中に個別企業の株価が何倍にもなったりその逆になったりと上下に動くことが何がいけないんだ、と思う人がきっといるのでしょう。しかし、まさか、今回の事象について市場の価格発見機能が正常に作動している結果であると言える人はほとんどいないのではないか。これを喜ぶのはやはり一種のゲーム脳に汚染されているとしか思えません。勿論、倒産や大きなパニックが起きるときはこういうことも起こるでしょう。しかしあえて平時にそのようなことを狙って起こしているとしたら、市場の価格発見機能をゆがめることでありやはり問題です。パチンコやガチャで大当たりを当てるような感覚のゲーム脳に汚染されないうちに、そしてこうした事件の反動として逆に必要以上に参加者の手足が縛られないよう、参加者にも市場にも一定の自発的な対応は必要なのではないかと思います。
実はかなり以前から議論はありましたが、CSRやESGといった話が盛り上がる中で、ショートターミズム批判がその背景に組み込まれてきたことで改めて脚光を浴びています。ショートターミズムに対する批判は、言うまでもなく、当事者による短期的利益志向が、当事者である企業の長期的利益に反していることがある、あるいは、投資家などが短期的利益志向で資本市場に参加することで、ノイズ的なフローを生み、本来期待されている資本市場の役割をゆがめてしまい、結果的に大きなコストを発生させる可能性についてです。先日、米国市場で一部銘柄について盛大なるショートスクイーズ祭りが開催され、しかも個人投資家などがSNSを通じて結託したりしたという話も出て、ともかくそれらの銘柄群の株価が異常な乱高下を示したという「事件」がありました。これに関して場外でも、某著名公的年金の元投資責任者の空売りの是非などを巡る意見に対しても議論が巻き起こったりして、別の祭りも開催される騒ぎになっているようです。ワタクシとしては、この議論は本来は「ショートターミズム」という視点で本来は議論されるべき問題なのかな、と思いました。
これまでショートターミズムの一つの例としては、たとえばあまりに短い間隔による業績開示を行って投資家の行動を煽るというものが挙げられています。かつては日本の決算(業績)発表は年1回でしたが、米国などの例に倣って半期、四半期と頻度が高まってきました。いまでは当たり前のようになっていますが、その過程でやはりショートターミズム批判はありましたし、おそらく今もあると思います。
HFなどによる株のネイキッドの空売りというのも一種のショートターミズムでしょう。まあ時間的スパンは画一的ではないとして、株を借りて売るのですから、借りたものを返す期限があり、その際に必ず買戻しを求められる。その意味では資本市場が想定している本来の株主に期待されている投資のスパンからはかなり短い期間で結果を出さなければならず、やはりショートターミズム批判の対象となりそうです。空売りは、ワタクシが以前書いたように、必ずしもすべて否定されるべきものでもありません。ただ、ショートターミズム批判の視点に立つとき、おのずから「いい空売り」「悪い空売り」の区別があるのではないか、それをやる当事者の中で一定の区別がなされるべきではないのか、と思います。「それをやる当事者の中で」とあえて書いたのは、一般的に別に禁止されているわけでもないし、一定の流動性を供給したりする役割もあるがゆえに、それをきちんと線引きできるのは、その当事者の「哲学」なり「価値観」といったものに依存するしかないと思うからです。そして厄介なことに、その哲学なり価値観なりは最終的に折り合わないことが多いので、最後は「資本市場の長期的なより良い発展」といった非常に大きなお題目を唱えつつ一定の権力によるルールが登場してしまうことになるリスクがあることには注意が必要です。
かつて、栗本伸一郎氏が「パンツをはいたサル」という名著で、法というのは異文化の文化的接触の中で生まれるもとの文化における想定外の事態への対応、とみごとに喝破していましたが、資本市場におけるインサイダーや相場操縦のルール(法律)の造られ方もそういう面が非常に強いと思っています。本来仲間内での世界であった資本市場に対し色々な人が色々な形で利益追求目的で「禁じられていないことは許される」という思想をもとに参入した結果、様々な場面で「あいつはずるい」「あいつはインチキだ」みたいな批判を浴びる行為がいろいろ出てきて、そのうちの一部が法律で明確に禁止されたりする。まあそういうことが生まれるわけですが、法律的に禁止されている行為も含めて、ワタクシ個人的には、その区別というのは行動の目的が「自己利益の過剰な追求」なのか「ある程度市場や社会の厚生もふまえての行動」なのかという点にかかってくるのではないかと思います。
もちろんそれすら意図せざる結果ということもあるでしょうし明確に線を引けるものではない。一般論でいま思いつく範囲でいえば、ヘッジや裁定の空売りは当然必要でしょうし、むかしはそもそもまだ手元にないもので近いうちに入ってくる現物をカラ売りすること(=ヘッジですね)に「つなぎ売り」という表現が充てられていたこともあり、基本的には空売りは現物を受け渡すまでの「つなぎ」としての保険でもあったわけですが、そういう空売りは十分必要でしょう。一方で提灯をつけてオーバーシュートさせて超過利益を得ることを目的とした行為は、合法であってもワタクシの投資の考えからはなんだか釈然としないものを感じます。別にいいんだろうけど、人としてどうなの?みたいな。そういう行動が目立ち始めると、いざという時に突然取引所の制約の対象となるのは十分あり得る話です。また、東日本大震災の翌日ぐらいにブログで堂々と円の空売りを勧めたちょっと有名な老投資銀行家(日本人)がいました。ワタクシはブログで批判しましたが、まあやっていいことと悪いことがあるだろうと。
(https://ensaigaisai.seesaa.net/article/201103article_5.html)
なんとなく職場におけるパワハラと指導の境目のような議論になるのかもしれません。
何がショートタームかなどという議論の前提が統一されていないという問題を置いておくと、ワタクシ個人としては、こうしたショートターミズムの弊害に基づく一定の考慮は参加者として必要なのではないか、と思います。今回の米国での出来事も、一日の日中で数百パーセント上下するというのだから、まあ市場の価格発見機能とかいうのがやはり絵空事のように思えてくるのですが、これももとはといえば「空売り」です。そしてそれに対してロビンフッドなどを通じたイナゴの大群がむさぼりつくした。結局そこには何も残らない。本来市場の機能として喧伝される市場の適正価格発見機能もなければ、資本市場の将来の発展につながるような知見も得られていません。発見されたのは、あまりに短期的に自由に動ける株式市場は、かえって不安を増すだけの存在となる可能性があり、全体にマイナスの波及効果をもたらすという事実のみです。そしてその発見自体が将来市場参加者の手足を縛る方向に向かう可能性があります。今回の「イナゴ」たちがSNSで結託してショートスクイーズを仕掛けたことは、相場操縦にあたるのかどうか微妙ですが、少なくとも資本市場が想定していない行動であることは間違いないと思います。こうした結果が新たな厳しい規制に向かわないことを祈ります。
話しは少しそれますが、ESG投資というのはもともとショートターミズム批判と強い関係のある動きです。色々な批判がありつつも大きな流れを作ってしまったのは、人々の心の中にそういう批判へのシンパシーがあるからでしょう。Eへの取り組みやその評価がリターンに効くのかどうかという立論も大事ですが、そのような取り組みを株主が評価しつつ投資を行う、そして「エンゲージメント」などを通じて会社と建設的な対話を繰り返しつつ議決権などの株主権の行使を行っていくことは、必然的に長期的に会社と付き合っていかなければならないということを意味します。別に空売りなんかしなくても、そういう会社をきちんと見つけてエンゲージメントを通じて会社を成長させ、しかるべき結果が得られてオーバーシュートすれば売ればいい。見込みがないと思えば売ればいい。オーバーシュートせずに継続的な成長が期待できると思えば保有を続けてその果実を受け取り続ければいい。その意味ではESG投資とエンゲージメント活動を組み合わせる主体は最低でも数年間は投資先企業と付き合っていく覚悟が必要ではないかと思います。まさにショートターミズムと対極です。G(ガバナンス)はもともと多くの先行研究でリターンとの関係がある程度見出されているからいいとして、E(環境)やS(社会)については有意な関係が見いだせないというのは一応現在の通説のようですが、まさにEやSへの取り組みはある程度長めのスパンでしかできないのであり、その果実はかなり先で取り込まれるものです。トランプ政権の下でちょっと迷走したとはいえ、EやSへの取り組みが少なくともリターンを阻害する要因でない(但し短期的には投資が必要となりコストがかかるが、それをいずれは回収できるという流れで企業が投資を行う)以上は受託者責任に明確に反するとも言えないと思います。
年金基金などが受託者責任との関係でESG投資になかなか踏み切れない事情も分かりますが、やはり大きな機関投資家としていま新たな役割が期待されています。ショートターミズムを脱却し、積みたてから給付までの長い期間における参加者として長期的に資本市場にかかわっていく役割が担わされているのですから、単年度で儲かったとかアウトパフォームしたかどうかとかいう次元(もちろんそれも大事ですが)を超えて、長期的に資本市場のベータに働きかけていくという作業の担い手として期待されているということなのです。
某巨大公的年金の元投資責任者の方が空売り批判をしていろいろ物議をかもしましたが、必ずしもすべてその方の意見に賛同できるわけではありませんが、おそらくその方の立論が一種のショートターミズム批判に立脚していると理解すると、比較的理解しやすく思います。この元投資責任者の方がESG投資を積極的に促進したことは、ショートターミズムへの批判的な考え方において共通するものがあったと思いますし、それは一定の様式の空売り批判につながりやすいと思います。(ただ、残念なのは退任とほぼ同時に某上場企業のボードメンバーになられたことで、これは利益相反という視点では厳しい目を向けられても仕方ないでしょう)。
結果的に米国で起きた今回の「祭り」で大金を稼いだ方もいらっしゃるでしょう。ショートスクイーズも意図的にやるなら空売りと逆の意味で、市場を利用したショートターミズムの一つの例でしょうか。合法かどうかについても微妙だとおもいますが、合法的であってもそして本人たちには何の悪気もなくても、人々の心に傷を残す陰湿ないじめとか指導に名を借りたパワハラのようなものかなと思います。社会あるいは市場というものに対する信頼感というか、恐怖感というか、そういうところに影響を与えているように思います。短期的な利益はゲーム感覚に通じるものがあります。今回もロビンフッドが一部の取引を停止したりしてましたが、そういうこと自体も市場の信頼性を失わせることになり危険です。いろいろまずいと思います。(まあすでに市場全体がやばいのだといわれればぐうの音もでませんが)。空売りにせよ今回のような事例にせよ、市場はショートターミストの遊び場ではない、ということをきちんと認識してもらう必要があります。とはいえそもそも日中に個別企業の株価が何倍にもなったりその逆になったりと上下に動くことが何がいけないんだ、と思う人がきっといるのでしょう。しかし、まさか、今回の事象について市場の価格発見機能が正常に作動している結果であると言える人はほとんどいないのではないか。これを喜ぶのはやはり一種のゲーム脳に汚染されているとしか思えません。勿論、倒産や大きなパニックが起きるときはこういうことも起こるでしょう。しかしあえて平時にそのようなことを狙って起こしているとしたら、市場の価格発見機能をゆがめることでありやはり問題です。パチンコやガチャで大当たりを当てるような感覚のゲーム脳に汚染されないうちに、そしてこうした事件の反動として逆に必要以上に参加者の手足が縛られないよう、参加者にも市場にも一定の自発的な対応は必要なのではないかと思います。
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