ESG運用に逆風?


昨日の日経の記事です。ESG投信に多額の資金がこの四半期に流入しているのだとか。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61772720R20C20A7MM8000/?n_cid=NMAIL007_20200721_Y

新型コロナというイベントをきっかけに、感染症の大元かもしれない環境変化、あるいは働き方や企業の在り方みたいなものに目が向けられた結果として、ESG運用(環境や社会問題および企業ガバナンスへの取り組みに優れた企業に投資する手法)が改めて注目されたことについては違和感はありません。ただ、この記事をよく見ると、なんだか浮ついたハリボテ感があって、どうなんだろうと思ってしまいます。

業界の別の方とも話していて、記事の中で特に違和感を覚えたのが、アセットマネジメントONEが3830億円の資金を集めたグローバルESG株式投信のところ。6月に実際作って1か月の募集でこれだけのお金を集められるというのはまあすごいなぁと思います。いろんな意味で・・・。
http://www.am-one.co.jp/fund/summary/313588/
でもよく商品概要を読んでみたら、別に(まあ考えたら当たり前ですが)この運用会社さんが投資しているのはモルガンスタンレーが運用する既存のグローバルESG投信であって、直接この運用会社さんが世界中の企業の財務やESGなど自力でいろいろ調べて投資しているわけではない。まあ投信の世界では優秀なマネージャーに外部委託するというのはよくある話なので全然かまわないのですが、記事の書き方としてもう少し正確に書けないのかなと思います。(当該運用会社さんへの過大評価を防ぐという意味でも、メディアも顧客本位になってもらいたい)。

一方で、こういう流れにくぎを刺す動きも出ています。
米国での受託者責任に関して米国ではERISA法に関して労働省から次のような規則改正案が出されています。
https://www.regulations.gov/document?D=EBSA_FRDOC_0001-0210
英文が苦手な方は、以下の大和総研さんのレポートをお読みいただければ・・・
https://www.dir.co.jp/report/research/capital-mkt/asset/20200708_021639.html

大和総研さんのレポートにもあるように、2015年の解釈通達の変更が、それまでのESGと受託者責任との関係についてのやや抑制的な解釈を大きく転じるものであったと思われます。つまりそれまでESG要因を考慮するというのはどちらかというとリターンを抑制する要因であり、受益者の金銭的利益を最優先させるという受託者責任との適合性のためには例えば「同等性」テスト(ESGを考慮しない運用と同等かそれ以上のリスクリターンを実現できる)を明確に通過する必要があった。しかし、2015年の解釈通達では、ESG要因の考慮が優れたリターンを獲得できる要因となりうるということが示されていれば、受託者責任に反しないという風に変更されたわけです。米国の年金基金におけるESG投資の採用に大きな後押しとなったと思われます。

今回の改正案はその流れをまた逆行させるものと理解されています。ERISA法の受託者責任とは、非金銭的な目的のためにリターンを劣後させたりリスク(年金の場合指数からの乖離の変動をいう場合が多い)を増大させたりすることを許容しないという点を改めて明確にした点、大げさに言えば、これまで「当該ESG運用が受託者責任的にダメであるという挙証責任が当局側にある」状態から、当該ESG運用が受託者責任的にOKであるという挙証責任が受託者(年金基金)側に移ったともいえるわけです。

このレポートにも書かれているのですが、やはり背景にはESG運用なるものの「乱立」あるいはいわゆる活動家タイプの人たちによる道具としてESG運用が利用されかねない(そしてその結果年金受給者の金銭的利益が最終的に害されかねない)という懸念が生まれていることがあるかもしれません。まあ米国なので、トランプ大統領の反環境保護的、反社会公正的でかつガバナンス無視というアプローチの影響をどこかで受けているかもしれませんが、それはともかく、ワタクシとしても、最近はESG運用が本来の役割を逸脱しつつあるという懸念を抱いています。ワタクシの考える本来のESG運用の役割は、あくまで「リターンの向上」なのです。いわゆる「よい企業」が長期的に良いリターンをたたき出せるという信念なのです。それはどちらかというと、自律的な良い企業をイメージしています。もちろん最近の傾向としての「スチュワードシップ活動」などを通じてソフトに企業に改革を促し、投資家として「よい企業」に(おこがましい言い方ですが)導くことでウインウインの関係を構築していくことも含まれます。

たまにスチュワードシップ活動とアクティビストとの親和性を言われる方がいるのですが、確かに企業に働きかけるという意味では似ていますが、中身は全く異なります。一言で言えば時間軸と目的が異なる。アクティビスト的な活動は「自己利益」かつ「短期的」です。これに対しESGの裏付けを持つスチュワードシップ活動は「市場と社会と会社と株主」といった広い利害関係者に利益をもたらす「長期的」な取り組みだと思っています。もちろん、企業として普通に「儲かる」企業であることが前提であり、そうした「財務的」優位性とESG的な評価の高さを兼ね備えた企業群の塊が例えば一般的な指数に比べた場合株価の下方硬直性と上方ポテンシャルを兼ね備えた存在であるということをイメージしています。まさにこれが正しいESG投資ではないかと思うのですが、最近はやたら株主総会などでも細かい環境問題やら開示の問題で突っ込む株主提案なども見られるところで、(もしかしたら提案者や賛同者のなかではきちんと整理されているのかもしれませんが)それらがどう企業価値の増大に結びつくのか(マテリアリティの問題)あまりよくわからないのも多いように感じます。

ふと気が付けば、ESG運用界隈では様々な団体(主に環境関係)が乱立しPRI事務局などともくっついて勢力を増しつつある。もちろん、運用資金を圧力として企業行動を変容させ環境や社会を「自分たちの理想」に近づける、というのは目的としては崇高なのですが、人様のお金を扱う立場としては、優先順位はやはりリターンあるいはリスクリターンであって、本末転倒にならないように自戒する必要があると思っています。

まさにこのタイミングで米国労働省がくぎを刺したことは、ちょっとESG界隈にとってはきついなぁと思いますが、まあ言っていることは十分理解できます。

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