サステナビリティボンドなど(債券におけるESG投資)


最近はSDGs債やグリーンボンドなど、債券分野におけるESG的なものへのアプローチが目覚ましい。これはひとえにビジネス的な背景が大きいのではないかと推測する。特に日本の投資家の場合、金融機関や保険会社を中心に債券への需要が高い。しかし最近の世界的低金利市場では十分なリターンを生む投資適格債券を新たに組み込むことが困難となりつつある。運用者の現場として、意思決定者を説得する一つのツールがESGやSDGsであり、これらのサステナブル債券に一定割合をアロケートするという組織決定を導くことで、ターゲットに満たない債券でも投資しやすくなっているのではないかと思える。

2月号の証券アナリストジャーナルは「グリーンボンド等SDGs投資を考える」という特集が組まれていて、要するにサステナブルボンドの特集だが、解題を書かれている徳島氏もその次の論文を書かれた江夏氏、あるいは伊藤氏も、私の理解では、現在のそういった商品の商品性に対し一定の疑問を持たれているという風に感じる。
詳しくは直接原典に当たっていただきたいのだが、一番本質的な疑問は、サステナブル目的への投資として厳密な意味での資金使途が制限されていない(一応建前は制限されているとしても、目的外利用にたいしてのペナルティがない)ということであろう。要するにほかの債券もサステナブルボンドも同じ発行体がだしていれば、今の状況では最後の最後には「お金に色はない」状態となるので、要するに信用力に差がないということである。(さらに付け加えると、コベナンツなどをいれて強制的にお金に色を付けてしまうことは、逆にサステナブルボンドの返済原資を狭めることになるため、クレジット的にはマイナスとなる可能性が強い。)信用力に差のないもの同士の間で、お互い価格に差が出るとしたら流動性やそれ以外の商品性ということだが、いずれにしても、ほかに流動性のある債券を出している先(たとえばIBRD)のサステナブル債を買うことははっきり言ってほとんど投資としての意味合いはない。
もちろん、投資家としてはそれをプレスリリースなどでアナウンスして、自分たちの社会貢献度をアピールするという効果はある。実際金融機関などがそれをやっているのだが、そもそもIBRD(世銀)などはその立場上世界のサステナビリティに貢献することが使命なのだから、なにもわざわざサステナビリティボンドなどこれ見よがしに発行する必要性がどこにあるのか正直言って疑問である。要するにそういう看板を付ければ売りやすい、ということであって、本来投資の世界では全く意味のない話だろうと思う。もっといえば、サステナビリティボンドである以上、資金使途を(先ほど書いたようにコベナンツではしばらないけれど)限定しているので、本来常にそれを投資家とともに確認する作業が必要だし、投資家側も、そういうところに投資していると大々的に発表する以上、それの資金がどのように使われているかをきちんとトラックして行く必要があろう。更にはグリーンボンドなど一定の認証機関の認証を事実上必要とするケースも多いだろう。要するに発行後も発行体と投資家双方に対し一定の事務負荷を要求するのがサステナビリティボンドだと思うから、双方においてコスト要因となるはずだ。そうすれば、サステナビリティボンドは、ほかの一般的な債券とくらべて有意に利回りが高くなければ、投資としてははっきりとマイナスではないかな、と考えている。(もちろん、投資家のそういった「善き意思」がいけないというつもりは全くない)。

やはり、現在のサステナブルボンドにおける致命的な(とワタクシが思う)矛盾は、同じ企業なり発行体が、同じ返済原資で一般の調達とサステナブル調達を行っているという点であり、この点が株式におけるESG投資(その企業のESG的行動で企業そのものの価値が相対的に上がると考えること)と根本的に異なるのである。債券という具体的な返済期限のあるものでやるのはもし債券におけるESGなりサステナブルボンドなりに意味を持たせたければ、完全な資金使途の厳格な管理とそれに応じた返済原資の限定(つまりノンリコース化など)を行うか、あるいは、そういうESG的な行動をアピールできる企業が発行するすべての債券の信用評価自体にプレミアムが付く(つまりその発行体全体の債券価格にプラスの作用がある)という整理にしないと意味がないだろう。ところが、サステナブルボンドは、どうしても性格上倍アンドホールドになりやすいし、投資家でもわざわざアピールするために購入する以上私募で満期保有を前提に買うのだから、途中のスプレッドの縮小はほぼ無意味だし、すでに述べたようにサステナブルボンドだから信用スプレッドが乗る(それ以外の債券より元利返済可能性のリスクが高まる)ことはない。もし通常流通している同じ発行体の債券よりも利回りが高いとしたら、それは「流動性プレミアム」でしかない。そもそも、本来その成り立ちからしてもそもそもサステナビリティに寄与すべき主体(例えばIBRD、IFCその他)の出している債券はすべて本来サステナビリティボンドなのであって、あえて細切れな資金使途を大々的に表明・限定して発行する実益には乏しいのではないか、ということである。もしそれをやりたければ、それに特化した特別目的会社などを作ってそこに発行させ、それこそ厳格に資金使途と返済原資を切り分けて、せいぜいIBRDなどが保証とかそういう立ち位置でやるのが筋だろうと思うがどうだろう?さらにいえばそういう個別のプロジェクトに投資家がリスクを負担するような形ならもっといいと思う。ESGに貢献しているという立場を投資家が示したければ、そういうプロジェクトの結果によって償還額や利払いが変化するような建てつけがもっと望ましいのではないか?その意味ではやはりESGはエクイティ寄りの概念のような感じがする。

もちろん、投資家の側からは、特定の資金使途を大々的に前面に打ち出したサステナビリティボンドは、社会貢献活動やESG投資活動をやっているという強いアピールになるというメリットはあると思う。またそういう債券を出せば需要が大きいということなら、発行体にとっても発行しやすくなるというメリットがあり、間接的にそういったサステナブルな目的へのお金の流れが世界的に増えるということになるという意味と利益を否定するつもりはない。そして投資家がそういう投資を、経営的な観点やレピュテーションの観点からメリットがあると判断してやるのは、それはそれでありだと思う。ただ、純粋な投資としての債券として考えた場合、いまだにサステナブルボンドは、特に価格(すなわち投資のリターンや効率性)といった面で非常にあいまいな存在であると思っている。

なお、このことはもちろん投資家が債券投資判断プロセスの中にESGの要素を組み込むというESGインテグレーションの問題とは別であるということは付け加えておきたい。

(参考)「サステナブルファイナンスの時代」~ESG/SGDsと債券市場 水口剛編著 一般社団法人金融財政事情研究会(2019)
(とりわけ第9章「ESG債のプライシング」)
   「SDGs債の価格形成に関する分析と投資に際しての留意点」伊藤晴祥 証券アナリストジャーナル2020年2月号

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