新聞にいちゃもん
私の住む町にはすばらしい喫茶店がある。休日ワタクシが注文する定番のモーニングセット(550円)はなんと午後3時までOK。しかも飲み物は基本的に何杯でもおかわりOKである。新聞、雑誌も充実しているので、休日にいろいろまとめて情報を仕入れるにはうってつけの場所になっている。いやホントにありがたい話で。なにせその気になれば300円のコーヒーいっぱいですべての全国紙とスポーツ新聞とほとんどの女性週刊誌が読破できてしまう。すばらしきコストパフォーマンスではないか。
で、昨日はそこで全国紙4紙をジックリ読みふけっていたのだが、気になった記事二つ。
朝日新聞が経済欄で、新潟で脱サラして手間をしっかりかけた無農薬の米を作っている人を紹介してた。70アールの田んぼを作っているのだが、手作りで収量が少なくいくらコメ単価が高くても年収300万だそうだ。
ワタクシはこの方はポリシーをもって農業をされているわけであり立派だと思う。しかし経済という観点では、きわめてマイナーな話であり、みんなが同じことをやってしまったら経済はとんでもないことになる。ワタクシの意見ではこの話は経済欄ではなく、人の生き方とか文化とかそういう世界で語るべきであろうと思った。これは経済を発展させる話ではないのである。
理想は理想としてきちんと語ることに異論はないし美しいと思う。しかし現実にこのモデルで日本人が食っていけるわけではないし日本経済に決して貢献する話ではない(100年後はこういうのが主流になっているのかもしれないけれど少なくとも当面は)。これを資源問題と同じ平面の経済欄で取り上げられていることにちょっと違和感を覚えたしだいである。
余計なことを言わせてもらえば、一般に日本人はこういうストイックで理想主義的な話が好きだと思う。もちろん私もそれを貫く生き方に惹かれる部分もある。しかしそれが結局国力という点では不利に働いてしまうケースも多い。たとえば京都議定書の枠組みで日本は排出権を結局大金を出して買わされる羽目になりそうだが、アメリカや中国が拘束されていないことを考えればまるで茶番だ。環境を保護するために排出を無理やり削減させるというなら筋が通るが、それをお金で調整する仕組みにしているから、本質的な解決になっていない。しかも世界のすべての国が参加していないうえ、手付かずの森林が多いというだけでまったく努力しなくても何の問題にもならない国がいっぱいあることをかんがえると、決して直ちに有効な手段とは思えない。その排出権取引が欧米特に米国の金融機関に牛耳られ、彼らを儲けさせたら完全な道化師だろう。6%削減という数値も精緻に検討されたかどうか疑問だし、京都という場所でエエカッコしたかった役所や政治家の軽率さのつけという感じがぬぐえないでいる。
閑話休題
もうひとつワタクシを絶望的な気分にさせた記事は、某紙の地方欄にあった。ワタクシの住む町のあるところで、信号機の設置をめぐって住民が騒いでいて、保育所前に信号機を作ったら別の住民からバス停の前に作るより保育所前に先に作ることについて説明がされていない、といって200人以上の要望書まで集めて抗議したという話。そして最近その保育所前の信号に初めて灯が入ったのがその要望書を出した日の午後だったから、バス停前設置派の神経を逆撫でしたようだ。
信号機を増やせという抗議ならわかるが、自分たちの要望よりほかの要望が先に実現したから抗議するというのはどうなんでしょうかね。保育所前を優先するのもそれなりの合理性がありそうですが。なによりも、それを取り上げる新聞もどうかと思った。まあ平和だということでしょうかね。
まあこういうどうでもいい話にイチャモンをつけるワタクシもどうかと思いますけれど。
で、昨日はそこで全国紙4紙をジックリ読みふけっていたのだが、気になった記事二つ。
朝日新聞が経済欄で、新潟で脱サラして手間をしっかりかけた無農薬の米を作っている人を紹介してた。70アールの田んぼを作っているのだが、手作りで収量が少なくいくらコメ単価が高くても年収300万だそうだ。
ワタクシはこの方はポリシーをもって農業をされているわけであり立派だと思う。しかし経済という観点では、きわめてマイナーな話であり、みんなが同じことをやってしまったら経済はとんでもないことになる。ワタクシの意見ではこの話は経済欄ではなく、人の生き方とか文化とかそういう世界で語るべきであろうと思った。これは経済を発展させる話ではないのである。
理想は理想としてきちんと語ることに異論はないし美しいと思う。しかし現実にこのモデルで日本人が食っていけるわけではないし日本経済に決して貢献する話ではない(100年後はこういうのが主流になっているのかもしれないけれど少なくとも当面は)。これを資源問題と同じ平面の経済欄で取り上げられていることにちょっと違和感を覚えたしだいである。
余計なことを言わせてもらえば、一般に日本人はこういうストイックで理想主義的な話が好きだと思う。もちろん私もそれを貫く生き方に惹かれる部分もある。しかしそれが結局国力という点では不利に働いてしまうケースも多い。たとえば京都議定書の枠組みで日本は排出権を結局大金を出して買わされる羽目になりそうだが、アメリカや中国が拘束されていないことを考えればまるで茶番だ。環境を保護するために排出を無理やり削減させるというなら筋が通るが、それをお金で調整する仕組みにしているから、本質的な解決になっていない。しかも世界のすべての国が参加していないうえ、手付かずの森林が多いというだけでまったく努力しなくても何の問題にもならない国がいっぱいあることをかんがえると、決して直ちに有効な手段とは思えない。その排出権取引が欧米特に米国の金融機関に牛耳られ、彼らを儲けさせたら完全な道化師だろう。6%削減という数値も精緻に検討されたかどうか疑問だし、京都という場所でエエカッコしたかった役所や政治家の軽率さのつけという感じがぬぐえないでいる。
閑話休題
もうひとつワタクシを絶望的な気分にさせた記事は、某紙の地方欄にあった。ワタクシの住む町のあるところで、信号機の設置をめぐって住民が騒いでいて、保育所前に信号機を作ったら別の住民からバス停の前に作るより保育所前に先に作ることについて説明がされていない、といって200人以上の要望書まで集めて抗議したという話。そして最近その保育所前の信号に初めて灯が入ったのがその要望書を出した日の午後だったから、バス停前設置派の神経を逆撫でしたようだ。
信号機を増やせという抗議ならわかるが、自分たちの要望よりほかの要望が先に実現したから抗議するというのはどうなんでしょうかね。保育所前を優先するのもそれなりの合理性がありそうですが。なによりも、それを取り上げる新聞もどうかと思った。まあ平和だということでしょうかね。
まあこういうどうでもいい話にイチャモンをつけるワタクシもどうかと思いますけれど。
この記事へのコメント
へーでした儲けるためには人の命どうでもいいんかい!!・・・どー思います、